思索日記

本を読んで思ったことを書いてます。

知識の資本主義 知識や手順を再利用可能にしておくことは、複利的に価値を生み出す

本を読んで得た知識、いつもやる仕事の手順やTipsを面倒くさがらずにまとめておき、再利用可能な状態にしておくことは、結果的に複利的な価値を生み出す。

理由を二つ挙げる。第一に、再利用可能なナレッジは、認知資源と時間を節約する。この再利用性は一時的なものではなく、株式の配当のように節約効果がずっと持続する。節約された認知資源と時間は、そのまま余裕として確保するのは勿論、さらなるナレッジを生むために再投資すれば、複利的にナレッジと認知資源と余剰な時間を生み出すことができる。

第二に、再利用なナレッジがたくさんたまると、ナレッジ同士がつながる確率が上昇することで、ナレッジの集合自体の価値が飛躍的に高まっていく。

これらの二つの作用(節約&再投資による複利の効果と、蓄積によるナレッジ全体の価値向上)により、大きな仕事を実現できる。というか、他人や過去の自分が考えてまとめてくれたナレッジを活用しなければ、知的な意味で大きな仕事は成し遂げられない。

この様子は資本主義にも似ている。蓄積したナレッジは資本となり、複利的に巨大化する。大きなナレッジの集合は、認知資源と時間の節約という形で果実をもたらしてくれる。


※以上がこの記事で言いたいことの全てです。この下はその補足。

ナレッジの再利用可能性

本を読んで得た知識を、タイトルやキーワードで想起できるようにしておくこと*1。数学で、微積分や三角関数のように、複雑な操作を記号化して表すこと*2。システムを作る際、細部をモジュールに切り分けておくこと。密教で、悟りに必要な概念をシンボル化してすぐ思い出せるようにしておくこと*3。これらは、知識や概念を抽象化&シンボル化することで再利用性を高める手法だ。抽象化は情報の密度を高めつつ、私たちの認知負荷を下げてくれる。シンボル化は、抽象化した情報のまとまりを思い出すのを助けてくれる。

抽象化は再利用性を高める手法の1つだが、他にもそのような手法はある。いつもやる仕事の手順やTipsをまとめておくことは抽象化とは異なるけれども、情報を整理して取り出しやすくしておくことで、再利用性を高める。手順がしっかり網羅的に書き残されていて、それだけをみれば仕事がこなせるようになっている状態が、最も再利用性が高い。仕事の場面では、抽象化が役立つ場面もあれば、具体的なまま手順を書き残しておくことが有効な場面もある。

本記事では、このように概念や知識や情報や手順をまとめたものを、(再利用可能な)ナレッジと呼ぶことにする。抽象化も、情報や手順のまとめも、どちらも「ナレッジの再利用性を高める」という性質を持つ。ナレッジの再利用性が高ければ、それを活用することで認知負荷を下げたり、時間を節約することが可能となる。

複利効果

ナレッジの再利用性の恩恵を、時間の節約という形で受けることができることは想像できる。しっかりとマニュアルや手順書を整備したり、こつこつとTipsを貯めたおかげで、これまで8時間の労働力を使ってやっていた仕事を、7時間でできるようになったと仮定しよう。このとき、引き続き8時間の労働時間を確保すれば、1時間分の余力が生まれる。これを、もっとナレッジを蓄積するために再投資してみたらどうなるか?

1日当たりたった1時間の再投資だけど、30日かき集めれば30時間分になる。30時間分の再投資により、もっと高い再利用性をもつナレッジを集めることができたら、7時間の労働でできた仕事が6時間でできるようになるかもしれない。すると、これまで通りの仕事をするのであれば、1日当たり2時間分の余力が生まれる。1日2時間の余力が生まれるので、また30日かき集めると60時間分になる。先月の倍投資できるようになった!これを再投資することで、またナレッジを増やし、再投資に当てる時間の余力を増やすことができる。(もちろん、このあたりで再投資の手を緩めて、浮いた時間を、ゆっくりとコーヒーを楽しんだり、家族との団らんに充てることもできる。)

浮いた時間の再投資の概念図。わかりやすさのために横幅つまり効率の伸びを過度に強調した。

このように、余力を投資に回すことで、再投資するための余力が再度生み出される。これを利息になぞらえて複利効果と呼ぼう。一度蓄積したナレッジは長期間にわたり時間節約効果をもたらすこと、再投資するための余力は無理しなくても(残業しなくても)作ることができること、は見落とされがちだ。ただし、パフォーマンスを落とさずに余力を生み出すためには、最初の1ステップのみは多少頑張る必要がある。ちょっとは残業が必要かもしれない。

また、余力を投資に回すと、次に再投資する際の効率も向上する。読書量が増えれば、読書スピードと読解力が上がる。仕事のTipsやメモを書きためていれば、どんな点に気をつけてメモをとれば良いのかわかってくる。技術メモをブログに定期的に書いていれば、アウトプット力が向上する。英会話が少しできるようになれば、実践の場で鍛えることがやりやすくなる。

負の複利効果

ナレッジ蓄積を継続するためには、ある程度の余裕(特に時間的な)が必要となる。逆に、期限に追われて時間が足りない状況では、日々のタスクをこなすのに精一杯で、「借金」を負っているような状態になる。複利で配当を得るどころか、複利で返済が必要になる。この節では、「欠乏の行動経済学」の内容を取り上げることで、ナレッジ蓄積の重要性の傍証を固めようと思う。

期限に追われている状況では、期限ばかり気にして近視眼的になり、計画や他のタスクがおろそかになる。また、疲労によって認知資源が枯渇する。認知資源が枯渇すると集中力が低下してパフォーマンスが落ちる。仕事が遅くなってたくさん時間を使うようになり、そしてまた、タスクがいつも積み上がっている状態になってしまい、それがさらに悪循環を生む。

この「期限に気をとられる」ことの問題点は、「欠乏の行動経済学」で詳細に語られている。期限が近いということは「時間の欠乏」と言い換えることができる。時間に限らず、金銭(不足は貧困とよばれる)、社会的つながり(不足は孤独とよばれる)、カロリー(「食べてもかまわない量」の不足は、ダイエットとよばれる)などでも同様の問題が起きる。つまり、何らかの資源が欠乏していると、欠乏している物に意識がどうしても向いてしまい、それ以外の対象があまり目に入らなくなってしまうのだ。平日に仕事でやり残したタスクが気になって、休日の友達との時間を楽しめない。目の前の「緊急」案件だけに集中して、重要だけどまだ少し時間がある案件は後回し。この現象はトンネリングと呼ばれる(トンネルの中に入っているかのようになり、外が見えなくなってしまう)。

期限の近いタスクに追われているときや、支払期限の近い請求書に追われているときは、目の前のタスク・目の前の請求書を片付けることにばかり集中してしまう。そして、「借金」に手を出してしまうのはこのタイミングだ。残業で定時後の時間を前借りする。休出で休日の時間を前借りする。来週控えた重要プレゼンの準備を後回しにして作業時間を前借りする。「借金」なので、当然利息の支払いもある。休みの時間を前借りしたので、十分休めず疲労が蓄積する。重要なタスクに割く時間を前借りしたので、時間のやりくりに追われてさらにトンネリングを起こす。この悪循環はかなり怖い。ちなみに、この悪循環に一度はまってしまうとちょっとのことでは這い上がれない。仕事を頑張って多少の余裕が生まれたとしても、アクシデントが起きるとまた前のように多忙な状態に戻されてしまう。複利効果は敵に回ると恐ろしい*4

だから、単に期限に追われていないとか、金策に追われていないという状態に甘んじていてはだめだ。欠乏の悪循環で利息の返済に追われるのは絶対に避けたい。でもどうやって?すでにトンネリングを起こしているときには、認知資源が枯渇していてそこから抜け出すのは困難になる。だから、認知資源をあまり使わなくて済むように、ナレッジの活用や蓄積が重要となる*5ナレッジの活用により多少の隙間時間を作ることができたら、その時間を活用してナレッジの蓄積に充てよう。次に同じ、あるいは類似の仕事をやるときに、認知負荷を下げて楽にしてくれるし時短にもなる。すると前よりも隙間時間を多くとることができて、さらに蓄積が進む。

ナレッジを集積することの価値

ナレッジというか知識全般は、複数の知識がつながる時にその価値がぐんと引き出される。ゆる言語学ラジオ界隈ではこれを「コネドる」(Connecting the dots. 動詞化してコネドる。あるいは名詞化して「コネドみ」)と呼ぶ。

本を1冊読んで「へぇ〜!」と思ったことが、別の本を呼んで「へぇ〜!」と思ったこととコネドることはよくある。デイヴィッド・J・リンデンの「快感回路」に、「脳を直接電極で刺激した際に得られる快感は途方もないが、これまで知っているどの快感とも類似しないし、感情を伴わない」というとても興味深い事象が書いてあった。また、しばらく経ってから読んだ同著者の「触れることの科学」には、「脳の一次体性感覚野を直接刺激すると、対応する部位を触られているかのような感覚が得られるが、粗雑な偽物というような感覚で、本物と間違えるということはまずあり得ない」とあった。おもしろい!そして、つながるともっとおもしろい!!私たちは確かに脳で認識し、脳が体験を作り出しているということは知っているけれど、一つの部位だけではなくいろいろな部位が同時に活性化することで「より本物らしい体験」を作り出しているということがよくわかった。これはまさに、私が最近知識で経験した「コネドみ」の事例だった。読書メモをつけておいてよかった。

「へぇ〜!」以外にも、ナレッジの集積で新たな発見を生むことはある。この記事自体がそうだ。この記事の基本アイデアである「モジュール化の真価」は、ゆる言語学ラジオやコテンラジオから抽出したものだし、「認知資源の節約の重要性」と「欠乏の悪影響サイクル」は「欠乏の行動経済学」で解説されている。こういった基本アイデアがコネドったために生まれたのが本記事だ。「欠乏の悪影響サイクルは複利効果と表裏一体である」、という部分も、「認知資源を節約するための基本姿勢としてモジュール化が使える」というアイデアも同様だ。(めちゃくちゃ手前味噌になってしまった・・・)

ナレッジの集積は、このように思わぬところでコネドるかもしれない、という事だけに価値があるわけではない。そもそも大きな作品や製品を作ったり、大きな仕事を成し遂げたりするためには、再利用可能なナレッジやモジュールを集積しておくことは欠かせない。コンピュータシステムを作るときに関数やメソッドやサブルーチン*6という仕組みが使えなかったら、現代のスマートフォンアプリや、パソコンのソフトウェアや、ゲームは、存在しないだろう。LINEのシステムを作るエンジニアは、誰もトランジスタやANDゲートのレベルからプログラミングをしたりはしない。数学で新たな記号の導入ができなければ、 x \times 6 x+x+x+x+x+xと書かなければいけなかったかもしれないし、33 3 \times 3 \times 3と書かなければいけなかったかもしれない(かけ算も使えないから…  (3+3+3)+(3+3+3)+(3+3+3) と書かなければいけなかった!地獄!)。 でも私たちは、複雑な計算をかけ算や累乗や積分記号で表すことで、何をしたいのか簡潔に表すことができる。プログラミングの時は、よくつかう処理をメソッドにまとめることで、処理の流れを単純明快に理解できる。 つまりナレッジを再利用することで認知負荷を減らすことができるし、細部をずっと気にしていてはいつまでも到達できないような次元の複雑なものを作ることができる。 *7

理論的には(?)、ナレッジが既にn個たまっているときに1個のナレッジを追加すると、n個の既存ナレッジとつながる可能性があるため、n通りの(潜在的な)コネドり方がある。もう1個ナレッジを足したときは、n+1個のナレッジとつながる可能性があるので… と考えると、N個のナレッジの中にある(潜在的な)コネドり方は、 \frac{1}{2} \times  N \times (N - 1) 通りになる*8。つまりオーダーで考えると、N2に比例するペースで増えていくことになる!しかもいまの説明では、2つのナレッジのコネドりのみを考えたため、3つや4つのつながり方を考えるともっと増えるかもしれない。つまり言いたいのは、ナレッジの集積価値は直線的ではなく、加速度的に増大するのだ。*9

知識の資本主義

まとめ。ナレッジを蓄積しておくと、認知資源と時間を節約できる。節約された認知資源は、私たちのタスク遂行の効率を高めてくれる。ナレッジの形成は資産形成のようなもので、持っているだけで(ちゃんと活用は必要)*10配当のように時間を生み出す。生み出された時間は、さらなるナレッジの蓄積に活用することで複利効果を生む。また、ナレッジは複数がつながることで、それ無しではできないような複雑な概念を扱えるようになったり、大きな作品や製品やシステムを作れるようになる。この効果も、ナレッジが蓄積するにつれ、加速度的に増大する。

ナレッジの「複利的に増える」という特性や、再投資が重要という特性は、資本主義における資本の蓄積にも類似する。世界の株式会社で、時価総額ランキングの上位はほとんど「うまくナレッジを蓄積している」企業であることは、偶然だろうか?大量の情報に圧倒されそうになる今の時代にうまく立ち回って生き残っているこうした資本主義の勝者は、上手にナレッジを活用し価値を引き出す、知識の資本主義の勝者でもあるのかもしれない。

参考文献・資料

*1:落合陽一「忘れる読書」で、「それって『失敗の本質』ですよね」という印象的なやりとりをしたことがあるというエピソードが紹介されている。共通の本(ここでは「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」)を読んでいる人同士であればその本のタイトルを記号として会話の中で使うことができて、密度の濃い会話ができるという。

*2:たとえば三角比のひとつタンジェント正接)であれば、「直角三角形において、ある角Aの正接とは、斜辺 ABに対する角 Aの対辺 BCの比 BC/ABのこと」と説明されるが、これを tan Aのように一言で表せる

*3:コテンラジオ「最澄空海」編を参照。

*4:このほかにも、トンネリングがもたらす悪影響はたくさんある。たとえば、資源の欠乏はいつも「トレードオフ思考」を強いられる。時間やお金が足りないときは、「これを買う/やるためのお金/時間を節約したら、代わりに何を買える/どんなことができる だろうか?」とつい考えてしまう。仕事をやるための時間が十分あれば、そんなことは考えず手順書の誤字脱字の修正に着手できる。京都旅行で観光するための時間が十分あれば、京都御所を諦めずに金閣寺に行ける。こうした考えは節約という意味はあるけれど、やりくりにはやはり認知資源を消費する。

*5:「欠乏の行動経済学」では、欠乏によるトンネリングを起こしている貧困者には、高度な教育を施すよりもまず簡便で実践的な知識や技術を指導することが良い、という研究を紹介している。 アントワネット・ショアーらの研究では、ドミニカ共和国で小さなビジネスを行っている、あまり成功していない個人事業主に何を教えられるのかを考えた。既存の個人事業主向け教育プログラムは、長ったらしくて退屈だった。一方、比較的成功している個人事業主は、完璧ではないが簡便で役に立つ経験則を使っていた。たとえば一部の女性は、ブラのカップの左右を使って現金を分け、複式簿記の代わりのようなことをやっていた。ショアらはこれに目をつけ、めぼしい経験則を集め、それを活用した新しい教育プログラムを作った。これは短くてわかりやすく、授業の出席率は上がり、もっと教えて欲しいと言われるようになった。(めっちゃいい話…!)

*6:メソッド、サブルーチンはプログラミング用語で、処理のまとまり。

*7:本文ではナレッジの集積に着目したけれど、もっというと「上手に抽象思考を活用する」こと全般が大事だと思う。タスク管理でも、マネジメントでも、細部を捨象して認知資源を節約できるとめっちゃ有利では。。

*8:初項0、末項N-1、 公差1の等差数列の和。  0 + 1 + 2 + … + (N - 1) = \frac{1}{2} \times  N \times (N - 1) あるいは、nC2で考えてもOK

*9:もともと厳密な考証ではないけど… 潜在的なコネドり方と書いたのは、実際に1つ追加のナレッジを足したところで、つながらないことももちろんあるためだ。実際には確率を導入する必要がある。

*10:ナレッジのメンテナンスコストについての考察は今回無視した。うまく抽象化された知識などはあまり関係ないが、仕事の手順やTipsはメンテナンスしないと陳腐化する。