思索日記

本を読んで思ったことを書いてます。

質的な差が量的な差に還元されていくのは面白い[「君のクイズ」読書感想]

「君のクイズ」の面白さは、「質的な差が量的な差に還元されていく過程の面白さ」で説明できると思った。

※本記事は小川哲「君のクイズ」のネタバレを含みます。

知人に「今年一番面白かった本なので読んでみて」と薦めてもらって、久しぶりに文学作品を読んだ。

はじめに言ってしまうけどーーごめんなさい!確かに面白かったけど、自分にとっては今年一番というほどではなかったかな*1。でもせっかく薦めてもらったし、そのときの熱意(圧?)に応えたかったので、どこが面白かったか、なぜ自分と熱量が違うのかについて気づいたことがあったので、感想を書いてみることにした。

量的な差、質的な差とは?

パソコンもコンピュータ。ということは電卓と同じ?

ゆるコンピュータ科学ラジオ 初回」で、こんなことを説明していた。

なぜパソコンやスマホYoutubeを再生したりWebページを表示したりすることができるのだろうか?一見するとこうした技術はまるで魔法のように見える。ところがパソコンもスマホもコンピュータ、つまり計算機の一種。電卓と本質的に大差ないということだ*2。これはおかしい。電卓は確かに大きな数の計算を一瞬でこなしてくれるが、Youtubeを再生したりWebページを表示したりするのはどう見てもこの延長上にないはずだ。にもかかわらず、パソコンやスマホは本質的には「超高性能な電卓と同じ」とされている。どういうことだろう?

確かにコンピュータについてあまり詳しくない人がそう思うのも無理はない。だが、パソコンやスマホは確かに「超高性能な電卓と同じ」と言うことができる。「超高性能」と言ったのは、電卓よりもはるかに多くの桁数を扱え、はるかに多くのメモリーを搭載し、人間が手で操作するよりも数百万〜数十億倍もの速さで計算をすることができるからだ。また、そのようにものすごい速さで計算ができるけれども、その一つ一つの計算はせいぜい、数の大小を比べるとか、足し算や引き算をするとか、値を書き写すなどといった単純なことしかできない。これが「電卓と同じ」と言った理由だ。

このように単純な計算であっても、数百万倍とか数十億倍といった違いがあると、何も知らない人間にとってはもはや魔法のように見えてしまう。ゆるコンピュータ科学ラジオの動画内では、これを「量的な変化は、ある段階で質的な変化になる」と表現している。

手品は魔法とは違う

「量的な変化は、ある段階で質的な変化になる」事例は他にも見つけることができる。手品が良い例だ。Youtubeで検索するといくらでもタネ明かしを見ることができる。手品をはじめて見たときには、いや何度見ても、目の前でコインが消えて別の場所から現れるのは魔法のように見える。ところが、タネを知るとそれが魔法ではないことがわかる。代わりにそれは、目にもとまらぬ速さの、洗練された、正確な動きに見えてくる。マジシャンの動きが素人の動きに比べて数万倍も洗練されているために、量的な差(技術の洗練)が質的な差(魔法)のように見えているのだ。

質的な差に見えていたものが量的な差に還元されていく。その過程の面白さ

手品の事例では、タネを知ることで面白さが半減してしまうように見えるかもしれない。でも、自分はかならずしもそうではないと思っている。まず、タネを知って理解すること自体がとても面白い。魔法のように見えていた目の前の光景が、誰でも理解できるような一つ一つの動きに分解されていくのはとても興味深い。そして、タネを知ったところでその動きが超人的であることは変わらない。実際自分もタネ明かし動画を見て練習してみよ〜と試してみたことがあるけれど、数日でうまくなれるようなものではなかった。タネを知ったことで、むしろいっそう、その手品が上手い人の技術が光って見えるようになった。

コンピュータの理解にも同様の面白さがあると思う。特に自分の場合はプログラムを書くから、この面白さをよく知っている。Youtubeを再生するということはいくつかのステップに分けることができる。ステップのひとつの課程では、パソコンやスマホはストリーミングのサーバーと通信し、圧縮された動画の断片を連続的に処理する。動画は特定のアルゴリズムで圧縮されているので、対応するアルゴリズムで解凍すればよい。圧縮・解凍アルゴリズムは規格に則っているから、規格に沿ってプログラムを実装すればよい。プログラムの中では関数の呼び出しが何度も行ったり来たりしているけれども、結局これは「どこから呼び出されて、どこへ戻れば良いか」をコールスタック上に書いておくということで説明ができる。コールスタックに書く、というのは結局のところ「メモリ上の特定の場所に値を書くこと」と言い換えられる。ーーほら、さっきの、値を書き写すという単純な処理に帰着できた。

「君のクイズ」も、この「質的な差に見えていたものが量的な差に還元されていく」ことの面白さを含んでいる

「君のクイズ」は、クイズプレイヤーである主人公:三島が、クイズ番組の決勝戦・最終問題でライバル:本庄に「あり得ない」敗北をして、その謎に迫っていくという物語だ。

三島はクイズプレイヤーなので、当然ながらクイズの基礎技術を磨いている。いくつもの大会に出た実績もある。だから、新参者である本庄が見せた超絶プレーをみて、「あり得ない」「魔法のようだ」と感じてしまうーースマホが電卓の延長上にあるわけないと思ってしまうかのように。常識から外れすぎていて、不正を疑ってしまう。手品でマジシャンと客がグルではないかと思ってしまうかのように。本庄について調べ始めた時点では、本庄と自分との間には質的な差があるように感じていた。(そしてそれを認められなかった。)

その後三島は、当初は「あまり考えたくないけれど」と思いながらも、その質的な差が量的な差に還元できる可能性を模索していた*3。そしてそれを徐々に明らかにしていった。本庄が日和山問題を落とした理由に共感し、「一文字押し」が魔法ではなくクイズである可能性を見いだし、最終問題のタネの仮説を立てた。読者は、この途中ステップを追体験することで、「質的な差に見えていたものが量的な差に還元されていく」面白さを味わうことができる。

これが、本書の面白さのポイントなのかなぁと。ちょっとポイントなのが、大半の(クイズをやらない)読者にとっては三島も十分すごいので、質的にすごい人間が二人いるように見えるということ。三島にとっては(努力してきて自負はあるとはいえ)自身の技術は魔法には見えていない。ーーで、ここからはさらに自分らしい感想なのだけど、自分もほーんのちょっぴりクイズかじったことがあるためか、実は二人のことは質的な超人には見えなかった。。自分はほんとにちょっぴり「クイズマジックアカデミー」を一時期やっていただけの素人に毛が生えた程度の知識だし、実際最終問題のタネはわからなかったのだけど、タネを知る前も知った後も「量的にとんでもねぇ化け物だな!」って感想だった。自分はこの作品を100%楽しめたと思っているのだけど、今年読んだ本で一番です!というほど楽しさを百万倍にブーストするためには、クイズ知識抜きの状態で読む必要があったかもしれないね。。

その他気づいたこと

タイトルに思い切り「君の」クイズって書いてあるね。表紙にYOUR OWN QUIZって書いてあるね。。

種本

小川哲「君のクイズ」2022年、朝日新聞出版

*1: 「消費資本主義!」か、「いつも時間がないあなたに」 が最高だった

*2:そもそも画面や通信部などのハードウェア的な違いはあるし、実行できる命令セットも大きく違うので多少の語弊はあるかも。

*3:ひょっとしたら半分気づいていて、気づきたくなかっただけかもね。ちゃんと読み返してみたらわかるかも。