思索日記

本を読んで思ったことを書いてます。

たくさんの方に無償で乗せてもらい、贈与について考えた[出雲大社ヒッチハイク体験記/後編]

前回のあらすじ。失恋をきっかけにエネルギーを発散すべく、出雲大社へ向けてヒッチハイク旅を開始。1日で4組に乗せていただき京都まで到達したものの、2日目は足踏み。自分探しの旅じゃないのに自分が見つかった。

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3日目 出会いいろいろ (1月6日(土) 京都 → 岡山)

5組目 東京から大阪に向かうバンドグループ

3日目、気を取り直していざ中国道方面へ。宝塚経由は難しそうなので、姫路経由のつもり。

ヒッチハイクすることへの抵抗はほとんど無くなり、あまり気合いを入れずにすっと立つことができるようになった。30分ほどで同じ年くらいのお兄さんが声をかけてくれた。東京方面から大阪を目指すバンドグループとのこと。土曜日だから長距離ドライバーが多くなるという事前予測は正解だったようだ。4人も乗っている車に乗せていただくのははじめてで結構わくわくした。

4人ともだいたい同じくらいの年代の方々で、話がはずんでとても楽しかった。「失恋したので出雲大社目指してるんです」という話に一番食いついてくれた。話すの恥ずかしい部分まで赤裸々に話した気がする。。あとはどういう話の流れでそうなったのかわからないけど、「性の目覚め」的な話*1を順番こにする流れになった。その話もめちゃくちゃ楽しくて、ここで紹介したいんだけど許可を取れていないのでやめておこう・・・。

気づいたら不本意な場所に連れて行かれてしまっていた。次のSAくらいまで行きたかったのが、吹田SAに着いていた。までも楽しかったし、先に進めたのでOK!

大阪に向かうバンドの皆さんと。楽しい時間をありがとうございました。

6組目 尼崎へ向かう、名古屋のビジネスパーソン

引き続き、姫路行きの車を探す。もうこのあたりでは恍惚とした気持ちもなくなり、ただ「気づいて!乗せてください!」「声かけてくれてありがとう!」とだけ思うようになる。もっと達人になると、また変わってくるんだろうな。

今度は比較的若い女性が声をかけてくれた。実はこれまで、単独女性やグループ女性は確実に乗せてくれないと思って選択肢から外し*2、意識上に乗せないようにしていた。なので女性が声をかけてくれたのはちょっと意外だった。

「ごはん食べてくるから待っててねー!」とだいぶフレンドリーに言われ、30分後に再開。彼女は名古屋から尼崎まで向かう3人組のビジネスパーソンの1人で、他の方ともレクサスの中で合流した。ドライバーはイケイケな感じの若社長さん。今日は一昨日と違って、若くて活気のある感じの人との巡り会いが多くて新鮮だ。

7組目 奈良から福山へ帰るご家族

尼崎駅で降ろしていただいた後、電車とバスで明石SAまで移動して再出発。なんとか今日中に岡山までは行きたい。

駐車場を眺めると、遠方の車はほとんどいないなぁ。だいたいが神戸か姫路ナンバー。1~2台、遠方のナンバーもいるかな、というくらい。人の数もそんなに多くないので、岡山ナンバーを見かけたら全力アピールするしかないと判断。多少恥ずかしいけど、やろう!

岡山ナンバーを見かけたらスケッチブックを振ってアピール。気づいてはくれたけど、スルーされてしまった。しばらく経ってまた岡山ナンバーを見つけたので、気を取り直して再度アピールしてみる。一応こちらを見てくれたけど、2人組とかじゃなくてご家族連れだから難しそうかな。外はどんより暗くなり、小雨も降り始めた。さすがに寒いな、休憩しようかなと思っていたら、パッシングの合図が!このタイミングでの岡山行きは本当にありがたい!お子さん3人+ご夫婦の車に同乗させていただいた。奈良から福山まで帰る途中とのこと。

声かけていただいた時に「テレビですか?」って聞かれたんだけどすみませんテレビじゃないんです。。自己紹介でシステムエンジニアしてますって話をしたら興味を持っていただけたのだけど、収入のこととかが気になったようだった。他にも自分の今後の展望や夢の話(心理学やリバタリアンパターナリズムの考え方をもっと活用して、社会に実装できたら良いな という話)をしたらそちらも興味を持っていただけた。「将来有名になったら、この人ヒッチハイクで乗せたことあるんですって言えますね」。

比較的若いご夫婦と話すチャンスだったので、せっかくなので恋愛相談も振ってみた。「パートナーとの温度差ってどう解消してます?結婚してからだと別れることも基本出来ないので、どう解消したのかなーって」「今でも衝突してます!w」そういうものなんですか!?結構意外な回答だった。救われたような、諦めなさいと言われたような、複雑な気分になった。

家族旅行の帰りに乗せていただきました。お邪魔しました!

今日の気づき

普段話さないタイプの方と話すの結構楽しいかも?

今日出会った方々はいずれも普段接点がないタイプで、新しい刺激を得られて話していて楽しかった。昨日は「うわべだけの関係は嫌」と言ったけど、5組目のグループみたいに年齢が近いなどでいきなり仲良くなれるタイプの方とであれば、インスタントな関係でも楽しめるかもしれないと思った。

乗せてくれる方の理由、いろいろ

これまですべての方には「なんで乗せてくれたんですか?」って聞けていないけど、割と理由は様々で面白い。

  • 困っていそうだったので、助けてあげたいと思ったから。私は普段から困っていそうな人を助ける習慣があるので。
  • 寒い中立っているのがかわいそうで、見てられなかった。
  • なんとなく。
  • 面白そうだったから。
  • 何しているのか気になって興味を持ったから。
  • アピールされたので。

「なんとなく」がとてもお気に入りの理由。ヒッチハイクを乗せるのが「善」だと言うつもりはないけれど、またコテンラジオ「善性の発動条件」の回が思い出される。

4日目 ラスボス中国山地 (1月7日(日) 岡山 → 松江)

今日中に山陰側に到達しないと、出雲大社に参拝できないどころか帰れない。岡山・吉備SAからヒッチハイク再開。駐車場を見た感じ、今日は長距離のドライバーもそれなりにいるようだ。ただ、遠方から来ているのはわかるけど、山陰に向かう車がどのくらいいるのかは不明。

[松江]と書いてスケッチブックを掲出する。この作業も慣れてきた。30分経過。全然声もかからない。1時間経過。1組声をかけてくれたけど、方面が全然合わない。1時間半経過。割とうろうろ歩き回って車の目に留まるようにはしているのだけど、もっとアピールしてみた方がいいのかな。などと考えていたとき、「松江ってどこ?」の声がうっすら聞こえた。

「松江ってどこ?」は、考えてみればこの1時間半の間に何度か聞こえていたような気がした。それに対する自分の(心の声での)回答はこうだ: 「出雲や松江や米子といった島根・鳥取方面を目指す人なら、松江で通じるはず。だから「松江ってどこ?」という層は無視して大丈夫。」

しかしここでようやく、その戦術が間違っている可能性に気づき始めた。割と多くの日本人が、松江がどこかをわかっていないのではないか。そう考えると、この1時間半が無駄になったようで焦り始める。高松は四国、松江は島根。島根と鳥取は山陰側で隣同士。自分が今いる岡山は、これらのどの場所を目指す人も集まってくる。多くの人は、自分の最終目的地がどこかはわかっているけれど、途中の地名には全然興味がない。知らなくてもカーナビで行けるから。出雲、米子、境港を目指す人は、[松江]の文字に反応しなかったのではないか。

スケッチブックを[島根]に書き換えた。「島根は行かんなぁ」という声がちらほら聞こえるようになった。よかった、これで皆さんにピンとくるようになった。しかし、すでに時間は13時近くになってしまっていた。今日中に山陰側に余裕を持って着くためには、そろそろ切り上げなければ。

13時過ぎ。敗北を認め、電車で山陰を目指すことにした。岡山駅から、やくも号で松江へ。揺れる電車の中で駅弁を食べながら、2日で出雲まではぜんぜん難しいんだなと痛感。今考えると当たり前だけど、出発前は予測がつかないものね。途中の山中では雪が積もりはじめた。そんな過酷な環境でも安定して動いてくれる鉄道にありがとうと思った。

やくも号の車内から。ここでヒッチハイク失敗したら死ぬ

今日の気づき

ヒッチハイクはゲーム性が高いかもしれない

1日目は神奈川から米原まで順調に移動し、3日目も京都から岡山まで(多少電車も使ったけど)移動出来たので、コツをつかんできた気分になっていた。けど、今日は休日にもかかわらず全然うまくいかなかった。車の流れや人の心を読み切れなかった。

ヒッチハイクは、結構ゲーム性が高いかもしれない。運にも実力にも左右される。ただPASAのトイレ前で突っ立っているよりは、個別にアピールしたり窓トントンしたほうが打率は高い。声をかけた後の交渉の仕方も重要。スケッチブックを掲出するなら、どの地名を書くかで反応してもらえるかどうかが変わる。こうした戦術だけでなく、ヒッチハイクする場所や時間選び=戦略も重要だ。地理の知識もいるし、車の流れを読む力も必要*3。休日と平日、朝と夕でも車の流れが変わる。

ヒッチハイク、もしかして面白いのでは?自分で考えたゲームという感じもするし、乗せる側・乗せていただく側とも偶然の出会いを楽しめるし、実益もあるし。あれだ、釣りに似ているのかもな。

幸せなお金の使い方

→ 「幸せをお金で買う」5つの授業 についての記事も参照。 tomato10.hatenablog.com

今回は時間切れになってしまい、岡山から先は公共交通機関出雲大社を目指すことになった。「出雲大社までは行きたい」という欲求は満たしたいので、特急や新幹線にはお金を惜しまないようにした。これは正解だった。

ここで「うわチケット結構高いな・・・」とか思ってしまうと時間を無駄にしてしまう*4。せっかく持っているお金の価値を最大限発揮するには、(今回のケースでは)こういうところにお金を使った方がよさそう。手持ちがないなら仕方ないとはいえ、「せっかくの機会を逃さないために」という意味で、お金はある程度持っておいた方がいいなと思った。

幸せにつながるところにはしっかりお金と時間を投下し、そうでないところは削る というのがお金との上手な付き合い方*5。めっちゃ当たり前のこと言っているようだけど、これをできずに疲弊してしまっている人は結構いるんじゃないかな?自分はおいしいごはんにそれほど執着がないので、朝食はBASE Breadとプロテインとヤクルトだけ、みたいにしていた。宿も、キレイで静かであれば他の人と一緒でも問題ないことがわかってきたので、新しくてキレイそうなドミトリーに泊まるようにした。これはかなり正解だったと思う。*6

こうした考え方を実践するには、自分が何に対して幸せを感じ、何に対して不快に思うのかをよく理解している必要がある。それにはメタ認知的な素養が必要となる。過去の経験から自分を理解できているとなお良い。「何に対して幸せを感じるか?」は他人とは(ぱっと見)異なるため、他人の影響を受けずに自分自身としっかり向き合わないと見えてこない。

お金で買える幸せ、買えない幸せ

お金関連でもう一つ。今回の旅はめちゃくちゃいろんな方に助けていただいた。他人の「贈与」を全面的に期待してはじめて成立する旅行だった。だから、贈与最高です!ありがとう!って言いたい気もするんだけど、同時に交換(ものやサービスの売買)もとても大事だと改めて思った。市場経済ありがてぇ・・・!もし岡山から特急に乗れなかったら、夜までヒッチハイクを続けるしかなかったわけで、雪降るSAで凍えていたかも。お金さえ払えば、移動サービスも、食料も、宿も、生活に必要なものは全部手に入る。なんて素晴らしいんだ!

幸せにつながるところにはしっかりお金と時間を投下し、そうでないところは削る という考え方はもう少し洗練させられる。まず、お金で買える幸せと買えない幸せがある。お金で買える幸せは、生活の必要を満たすもの:飲食やライフライン、宿泊や医療や教育や移動などのサービスが該当する。こういったお金で買えるものに対して、どの程度の水準を求めるかは人によって異なり、「食事は質素でも構わない」人はあんまり無駄にお金をかけない方がよく、「食事は楽しみたい!」人はそこそこお金をかけた方が幸せになれる。他方、(今回のヒッチハイク旅のような)経験や人間関係や地位や名誉はお金では買えない。消費資本主義!という本では、こうしたお金で買えないものを買えるかのように見せるイリュージョンがマーケティングである、という説明がなされた。消費者目線では、そうしたマーケティングの本質を見抜き、お金で買えないものは買えないときっぱりあきらめて別の選択肢を地道に選ぶのがよい。ケチにはならないけどいらないものにはお金を使わない。依存に注意し、「本当に」それが好きでやっているのかよく考えること。過度な筋トレ、ブランドものの鞄や高級車に手を出す、タバコやギャンブルなども似たようものだ。

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5日目 旅の終わり (1月8日(月・祝) 松江 → 出雲大社 → 神奈川)

松江の朝は雪が降っていた。ダメ押しでせめてもう1回、松江市街から出雲大社までヒッチハイクしてみようかなと考えてみたけど、悪天候には逆らわない方がよいと判断。松江駅からJRと電鉄線を乗り継いで出雲大社へ。

出雲大社へは数年前に来たことがあった(そのときはバイクで。やっぱりチャレンジングな旅しがちだよね)ので、出雲大社の変わらない姿を確認し、参拝し、お守りを買ったら回れ右で帰り路へ。参拝のとき、手を打つ回数がほかと違うことを忘れていて、他の参拝者の姿を見て思い出せた。 危なかった。 *7

出雲大社に到着しました

やっぱりもう少しヒッチハイクしたいと思い、近くの道の駅大社ご縁広場へ。ちらほら県外ナンバーがいて、岡山ナンバーもそこそこいる。ただ、停まっている車はそこそこいるけれど、駐車場への車の出入りがぜんぜん無い。気づいてもらえる予感がしなかったので、まっすぐ帰ることに決め、ここに今回の旅行は幕を閉じた。

EXTRA 帰りのやくも号で隣に座ったマダム

出雲市から岡山まで特急で、岡山から神奈川までは新幹線でまっすぐ帰ることにした。空席には余裕があり、チケットは松江駅でまとめて購入。旅の余韻に浸るべく、地ビールと簡単なおつまみをキオスクで買って特急に乗車。我ながらおじさんになったねぇ。

車内はかなりガラガラにもかかわらず、年配女性の隣が自分の指定席だった。マダムは3人グループの1人で、僕さえいなければ席を反転させてボックス席にできたのに、と思っていたに違いない。僕が律儀に指定席に座ったばっかりに、ごめんねぇ。でも途中から乗ってくるかもしれないからさ。マダムは最初席を移動して、3人でおしゃべりしていた。けれども次第に車内が混んできて、私の隣に戻ってきた。

しまった、買ってあるお酒を飲む機会を逃してしまった。いや別に特急の車内なんだから隣に人がいようがいまいが飲んでもいいんだけど、さっきマダムが席を移動している間に飲んでしまえば良かった。一応気を遣って、声をかけておくか・・・イヤホンを外して声をかける。「すみません、隣でお酒飲んでもいいですか?」「あぁ、いいですよ。お構いなく」

ダメ押しヒッチハイクができなくて、まだおしゃべりしたい感覚が残っていたのかもしれない。イヤホンを外したままにして、隙をみせてみた。「おひとり?どちらまで行かれるんですか?」「新横浜です」「そう」 別に興味はなかったのに、「どちらまで行かれるんですか?」と聞き返したのはなぜだろう。「わたし?わたしたちは岡山まで」「あぁ、じゃあお互い終着までですね」

マダムは岡山じゃなくて、大阪から来ている方だった。大阪のおばちゃん。すっっっごい根掘り葉掘り聞かれた。出雲には一人で来たの?ご結婚は?そう、失恋したの。悪いこと聞いちゃったわね。一人じゃ無いとヒッチハイクなんてできないわよね。結婚したら自由じゃないから。前の彼女とはどうして別れたの?彼女も結婚考えていたでしょう。でも最近の人はマッチングのやつ?で出会ったりするんでしょう。あなたなんか顔がいいからすぐ見つかるわよ 適当!

話しているとどうも、マダムは現代の「選択肢の多さ」を羨んでいるようだった。「までも、現代って昔と違って女性も男性も、結婚してもしなくても生きていけちゃいますからね。あなたの世代だと、家庭に入らないと生きていけなかったけれど、今は違いますから」「そうよ!本当にいい時代」。自分は「ひょっとして、選択肢多くないほうがいいのでは・・・?」と最近思っている*8ので、やっぱり選択肢が多い方が幸せなのかなと一周して考え直すきっかけにもなった。結論は出ていないけど。その話はそれ以上深く話できなかったけど、マダムはおそらく若い人間が直面している「選択肢が多すぎてかえって決められない」という事には感情移入できないんじゃないかな?という気がした。

全体の感想、総括

今回の旅行のハイライト、自分が一番印象に残っている部分

箇条書きでざっくりまとめ。一番印象に残っているのはこんな場面。

  • 海老名SAで、意外とみんな見てくれる!とはじめて嬉しく思った瞬間。
  • ヒッチハイク2~3回目で、恍惚とした気分になったとき。自意識過剰になっているなとメタ認知できたとき。
  • 自分で考えたゲームをやりたい、という言語化が腑に落ちた瞬間。
  • 乗せていただいた様々な方とお話しできたとき。中でも特に、バンドグループご一行と楽しくお話ししたとき。
  • 京都の町中で、岡山のSAで、敗北を味わったとき。

「自分で考えたゲームをやりたい」という発見が今後の人生に与える影響

「自分で考えたゲームをやりたい」という形で自分らしさを言語化できてしまったことは、今後の仕事・遊び・人間関係なんにでも影響してきそう。これまで「なんとなくこれが好き」「これは面白いのでは?」という、言語化できていない・やってみないとわからない状態だったのが、ある程度あたりがつけられるようになった。

たとえば、なんとなく不満なとき、「自分で考えたゲームになっていないからでは?」と仮説を立てることが出来る。コミュニティや事業やサークルの立ち上げメンバーに入ったのになんとなくなじめなかったら、この仮説を検証するというところから自分の立ち位置を見直せる。

または、新しく何かを始めようか迷っているとき、自分が満足できそうかどうかの指標になる。「新しいチャレンジではあるけれど、自分の創意工夫の余地が少ないのでは?」と思ったらやめておいたり。新しいチャレンジが軌道に乗ってきて、「自分らしさを貫くか、たくさんの人に受け入れられるように軌道修正するか」で迷った時の道標になる。

婚活は少しお休みしようかなー。

結婚相手に求めてしまうことが何かはある程度わかってきたのだけど、「自分で考えたゲームをやりたい」という欲がある程度満たせたら、結婚にも少し影響しそう。まず、はっきり見えてきたこの欲求としっかり向き合う方が先かなー。

ヒッチハイクのゲーム性、ゲームになりそう

ボードゲームにしたら結構面白いんじゃないかな?サイコロ使ってランダム性を与えて。商品化したいメーカーの方いらっしゃればご連絡お待ちしております(?)

裏テーマ。贈与について

ヒッチハイクは見ず知らずの方から助けていただくということでもあるので、そこに贈与らしさを感じて、旅の途中で近内悠太「世界は贈与でできている」を読んだ。本書で話している内容はそれはそれで良かったけど、ここではもう少し俗っぽい話をしたい。

自分は寄付をしている。収入のたった2%だけど、毎月継続的に。もともとはずいぶん前に中田敦彦の動画を見て、寄付をすることによって自分ゴトになるものが増えるといいなと思ったのがきっかけだった。でも、そのように自分ゴトとしてとらえるようになった社会問題の数は増えなかった。現状単に、支援先に毎月お金が入るだけの状態になっている。だけど、結果的にこれは「世界は贈与でできている」でいうところの贈与に近い。自分は与えていることを忘れているためだ。

寄付の話をしたのは、自分が立派な人間アピールをしたかったわけではなくて。現在の寄付界隈では、「ください」の声が重い!ということを伝えたい。「いかに深刻な状況なのかを伝えなければ」みたいな競争になっているように思える。そのせいか反対に、寄付する側目線では、生殺与奪権を握っている感覚にもなってくる。与える側が上位で、もらう側が下位という関係がかなりはっきり表れる。それ自体はある程度仕方ないけれど、パワーバランスが極端だなと思った。

自分は、もらってくれてありがとう、と思うことがたくさんある。彼女と別れて、お土産を渡す相手がいない。純粋にあげたいのにあげられないなーと、出雲市駅の売店でしみじみ思った。もらってくれる人がいるという事も、幸せなことだ。これをヒッチハイクの場面に適用するのはおこがましいけれど、、でもそんな考えのもと、こういう旅を計画してみた。自分が「乗せてください!」って言うことで、乗せてみたい人に何か刺激を与えられるかもしれない。

ください!ってもっと気軽に言い合える世の中になったらいいな。それは「世界は贈与でできている」の中でいうところの交換に近いのかもしれないけれど・・・でも、ください!って言う側が、あまりにもへりくだりすぎているのはお互いにとって生きづらい世の中なのではないか。被災地支援でも同様の悩みを抱えていないだろうか?被災者が生活必需品以上の支援を期待してはいけない感じを持っていたら悲しいなぁ。

自分は今回のヒッチハイク旅で、「ください!」ってたくさんわがままを言ってみた。お金も時間もあるので、あなたのご支援が必要です!という状況ではないのに。乗せてくれた方は、(自分の目から見てだけど)快くそれに応えてくれた方々だった。「ください!」って気軽に言い合える世の中、悪くないと思うのですが。みなさんどう思います?ご意見コメントください!

謝辞

ヒッチハイク旅行にお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。皆様に車に乗せていただいたという体験は、単にヒッチハイクで旅行したという事実にとどまらず、大切な人生経験として私の中に蓄積されました。

それから、恋愛相談に乗ってくれた秋山君へ。君のおかげで、谷底に落ちていくエネルギーを上手に活用し、遠くまでジャンプすることができました。ありがとう!今度はお酒でも飲みながらゆっくり話そう。

*1:伊集院光 深夜の馬鹿力」で昔そんなコーナーをやっていた。ちょうどそんな感じ

*2:ま相手の立場に立って考えたら、多少「助けたい」という心があったとしても恐怖心の方が勝つよね。男性でも大半の人はスルーするわけで。

*3:たとえば神奈川から東北道方面に抜けたかったら、都心を突っ切る?圏央道で迂回する?どっちの車が多い?

*4:時間そのものはいっぱいある(だからこそヒッチハイク旅)ので、有意義な時間の使い方にならない、と言った方が正解かも

*5:お金と幸せの関係ってこのブログの中で繰り返しテーマにしているような気がするけど、そろそろ答え出たんじゃないかなと思えてきた。

*6:こういう反論も思いつく: 自分はよりよいサービス・より価値のある経験にお金を払っているのではなく、高いコストを支払うことで地雷を回避しているのだ。・・・この考え方にはすごく同意する。最近のAmazonとかは玉石混淆になっていて、有名ブランドの家電のほうが安心、ということもしばしばあるよね。

*7:出雲大社の参拝の作法は、一般的な二礼二拍手一礼とは異なり、二礼四拍手一礼。

*8:お見合い結婚の時代の方が幸せだった、みたいな議論よく聞きますよね。