思索日記

本を読んで思ったことを書いてます。

欲望とのつき合い方 [ウィリアム・B・アーヴァイン「欲望について」本紹介・読書感想/後編]

この記事は 欲望について [本紹介・読書感想/前編] の続きです。先に前編をお読みになることを想定した内容になっています。


前編では、本書の紹介とざっくりとした内容について説明を僭越ながらさせていただきました。 この後編では、本書を読んで気になったことや、欲望・快楽・幸福の関連性について自分の考えを書いてみようと思います。

欲望を追求することの危険性について

本書では欲望が繁殖と生存に役立つものだったこと、 欲望とうまく付き合っていくのが良さそうだということ、などについて触れています。 欲望とうまく付き合うことはとても大切だと思うのですが、 それには欲望が持ついくつかの危険性について理解しておく必要があると思います。 (そうでないと、迂闊に欲望を刺激してしまって欲望に飲まれてしまう危険がある)

欲望には、本書で言及されているもの・されていないもの含め、3つの危険があると思います。

  • 快楽主義の踏み車から降りられなくなる
  • 実際上の個人的破滅を生む
  • 外部に被害を与えてしまう

快楽主義の踏み車から降りられなくなる

本書で時間をかけて丁寧に論じていた内容です。 適応という現象により、どれだけ心を満たしても、いつまで経っても、結局のところ本当に満足して「これ以上はいらない」と思える地点はやってきません。追求しても追求しても、束の間しか満たされないのです。 このことを指して、踏み車トレッドミルに乗っている という表現をすることがあります*1。 前編では、この機構のおかげで停滞を防ぎ、生存と繁殖に有利な状況を作り出している、という話が登場しました*2

それは確かにその通りなのですが、私たちが主観的に感じる心の辛さに目を向けると、この踏み車から降りれなくなっている状況には問題があると思います。 踏み車に乗ったままでは結局幸せになれないという言い方でもいいかもしれません。

実際上の個人的破滅を生む

欲望の追求により周りが見えなくなって、気がついたら破滅への道を歩んでいた、という人もいます。

欲望を追求し続けた結果到達する一つの場所は、依存症です。 アルコールやドラッグなどの依存症はわかりやすい例ですが、買い物やギャンブルなどへの依存症も、欲望がもたらす負の側面だと言えるでしょう。 *3

依存症は本人が苦しいばかりでなく、社会からの理解がうまく得られなかったり、行動がエスカレートして社会的制裁を受けることもあり得ます*4。 また犯罪や非倫理的な行動でなかったとしても、例えば肥満のように、自身が望んでいない結果を引き起こすこともあります。 これらは全て欲望を追求し過ぎた結果起きた現象と言えるのではないでしょうか*5

外部に被害を与えてしまう

現代社会で起きているいくつかの問題ーー環境問題、アニマルライツの問題、人権問題は、欲望の追求が絡んでいる問題です。 いずれも、自分や自分のごく周囲の人々の欲望を満たすことだけを考えてしまい、自分の目の届かない(あるいは見ないことにしている)範囲への影響を考えることをやめた結果起きている問題と言えます。

私たちもこれらの問題に対して決して他人事ではありません。環境問題・アニマルライツの問題・人権問題に対応する商品は実は流通しているのですが、実際に関心を持って手に取って購入している人がどれだけいるでしょうか?

バタリーケージで飼われる鶏。隣の鶏とぶつかる位の面積しかなく、金網の床では地面を掘りたい欲求を満たせない。Otwarte Klatki, CC BY 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

鶏を過密飼育せず、鶏が欲求を満たせるだけのスペースを確保し、そこから卵をいただくといった形態の鶏卵が実際に販売されています(平飼い卵と言います)。 平飼い卵は多くのスーパーで売っていますが、それに気づいていますか?手に取ってみたことはあるでしょうか?多くの方は、一番値段が安い卵を買っているのではないでしょうか。 平飼い卵は確かに高いですが、一番安い卵に比べたら高いのであって、本来であれば鶏から卵をいただくにはその位のコストがかかるものだとは考えられませんか?? 安い卵と平飼い卵の価格差は、私たち消費者が知りたくない影響(つまり鶏が健康に生活する権利を害うこと)を無視することで生み出されたものであり、 その「利益」は私たち消費者が甘受しているのです。

ある種の人権問題も、養鶏と同様の構造で生み出されています。 チョコレートの原料であるカカオ豆の一部は、児童労働によって生産されていることが知られています。サッカーボールもパキスタンなどで生産されていて、児童労働が指摘されています。 他にも綿花や綿製品の多くが開発途上国で生産されており、先進国との間の貿易で価格上不利な立場に立たされています。低価格での生産を強いられるために、綿花の栽培に危険な農薬を使っていることもあります。 フェアトレードはこうした問題を解決するための取り組みであり、フェアトレード認証を受けた製品が市販されています(参考)。これも平飼い卵と同様*6、私たち消費者に委ねられた選択肢になっています。

そして、これらの問題は、世俗的な欲望の追求を容認してくれる資本主義によって加速されています。 資本主義は人間中心的に欲望を満たすことの一切を許容してくれるので、私たち消費者は欲望の追求がもたらす負の側面に目を向けることを忘れてしまうのです。

欲望とのつき合い方

ここまで、欲望を追求することのいくつかの危険性についてみてきました。 これまでみてきた欲望に関する事実を踏まえると、私たちが幸せに生きていく上で重要な心構えが見えてきます。それは、

今あるものに満足する

ことがとても重要だということです。境遇のレベルを上げるのではなく、期待のレベルを下げることが大切なのです。

どうして今あるものに満足することが必要なのか?

前提:幸せは境遇よりも期待によるところが大きい

前編でさんざん見てきたことですが、私たちの欲望には2つの重要なバグが潜んでいるため、欲望を満たすことが幸せに直結していないということを思い出しましょう。 重要なバグとは次の2つでした。

  • ミスウォンティング: 「手に入れてみたら、それが欲しいものではなかった。最初から。」
  • 適応: 「手に入れてからしばらくしたら、慣れてしまった」

これらは両方とも、幸せが「手に入れた」ものや境遇そのものではなく、それに対する期待とのバランスにより決まっている ことを示唆しています。 むしろ、同じ境遇であっても(こうしたバグにのせいで)期待が異なれば幸せも変わってくるわけですので、期待の方が幸せに影響しているといってもいいでしょう。

同様の考え方は、サピエンス全史でも触れられています。

豊かな現代社会では、毎日シャワーを浴びて衣服を着替えることが慣習となっている。だが、中世の農民たちは、何か月にもわたって身体を洗わずに済ませていたし、衣服を着替えることもほとんどなかった。身体の芯まで汚れて悪臭の漂うそうした生活を想像するだけで、私たちは吐き気を催す。だが、中世の農民たちは気にも留めなかったらしい。彼らは長い間洗っていない衣類の感触や臭いに慣れていた。彼らは服を取り替えたかったのに、着替えがなかったわけではない──欲しいものは持っていたのだ。そのため、衣服に関するかぎり、彼らは満足していた。
──サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 第19章 文明は人間を幸福にしたのか

これは衝撃的かもしれませんが、「当たり前の生活」という想定がこれまで変化してきていること、「当たり前」という感覚を変えられるかもしれないということを示唆しています。 私たちの衣服に対する期待度は、この中世のレベルから少しずつ適応を重ねていって(=それまでのレベルに満足できなくなって)、現在まで膨らんでいってしまったのかもしれませんね。(知らんけど!あと多分違うけど!)

幸せへの最短距離であるため。

欲望は完全に満たされることはないため、境遇を以前よりも良くし続けない限り不満が常につきまといます。 逆に、今あるものに満足できるよう自分の認識を変えることができれば、その不満から解放されます。

今あるものに満足できるよう認識を変えることは、言うほど簡単ではないです。皆さんはきっとそれをわかっているでしょうし、これが最短距離であるということに違和感を持つ人もいるかもしれません。 実際、名だたる世界的宗教で成功した人物達でさえ、悟りに至るためには修行したりたっぷり時間をかけて勉強したりする必要がありました。 一方で先ほど、中世の衣服に関する感覚で見たように、当たり前という感覚は人間の身体や心理に物理的に配線ハードワイヤードされたものではなく、スマホのOSやアプリをアップデートするかのように書き換えが可能だということは言えそうです。

今あるものに完璧に満足するというレベルに到達するのは私たち一般人には無理かもしれないけれど、ある程度満足できるようになることを考えるのはどうでしょうか? 個人的意見ですが、それだったらできそうな気がしています。 実際、この後書くようなテクニックで、今あるものに満足できるような認識にアップデートすることができるとされています。これならできそう!
その一方で境遇を以前よりも良くし続けるという試みは原理上「無限の改良」が必要になる(快楽主義の踏み車)し、無限に時間がかかかります。

欲望の追及のデメリットを避けるため。

あとは、すでに見てきたような欲望を追求することの危険を避けるため、というのもあります。

  1. 快楽主義の踏み車から降りられなくなる
  2. 実際上の個人的破滅を生む
  3. 外部に被害を与えてしまう

1番目に関しては前項で書いた内容で、2番目は多くの宗教や道徳などで戒律として言っている内容ですね。 3番目に関しては20世紀・21世紀の社会で見えてきた課題なのかなと思います。

どうやって今あるものに満足するのか?認識を変えるには?

今あるものに満足することが大切だということをお伝えしてきましたが、 今あるものに満足するというのは誰でも簡単にできるものではないですよね。 それをできるようになるためには、認識を変える必要があります。 スマホならボタン一つでOSアップデートして認識を変えることができるかもしれませんが、 私たちはそういう簡単な機能は持っていないので*7、ちょっとずつトレーニングによって認識を変えていくしかありません。

それでは、認識を変えるトレーニングとはどのようなものがあるのでしょうか?本書に登場するもの、しないもの含め、いくつかご紹介します*8

身の回りのもの一つ一つを手に入れた時のエピソードを考えてみる

本書に載っていて、物にあふれて生活している現代人にとって有効と思われる方法です。私が実際やってみて結構良かったと思いました!

自宅や自室でやると良いと思います。自分の身の回りにあるものに思いをはせることで、自分がいかに物質的に恵まれているかに気付く、というものです。 スマホ、時計、衣服、靴、家電、趣味の道具・・・などなど1点1点を視覚的に見つめて、それを手に入れたときのエピソードを思い出してみましょう。 カタログやWEBや店頭でほしいと思ったときのこと、買おうか悩んでいるときのこと、知人が持っていて悔しい思いをした時のこと・・・などなど。 いざ買おうと決心し、お店に行ったときのドキドキを思い出してみましょう。

人間関係や社会的関係に対してもこのテクニックが使えそうですね。 今の学校や会社に入った時のことや、パートナーがいる方であればその方と付き合うことになったときのことなどを思い出してみましょう。 きっと、今手に入っているものや境遇に対して感謝し、自分が恵まれていることに気づく体験ができると思います。

マインドフルに楽しむ

瞑想はマインドフルネスの一形態である

マインドフルネスという言葉、最近やたらと流行っていませんか?Appleがそれとなく推奨していたり、なにかといろんな場所で聞いている方もいらっしゃると思います。

マインドフルネスと言えば瞑想が連想されます。そして瞑想は宗教的・霊的・スピリチュアルと結び付けられやすいと思いますが、それは先入観です。 宗教やスピリチュアルが瞑想を利用しているというだけであり、瞑想それ自体にはそういった要素はありません。

実は、マインドフルネス側から見て、瞑想はその1種でしかありません。マインドフルは*9態度であり、マインドフルに走る、マインドフルに食べる、などといった使い方をします。マインドフルネスはいろいろな活動と結びつくのです。(マインドフルの意味はこの後説明します)
また、瞑想側から見て、マインドフルネス瞑想はその1種でしかありません。瞑想によって霊的なつながりを目指す活動もあるようですが、本稿ではこれ以上深掘りしません。

マインドフルネスは「いま、ここに注目する」態度です。 ぱっと聞いた感覚だと、当たり前のことすぎて何を言っているのかよくわかりませんよね。 いま、ここに注目できていない状態と比べてみるとわかりやすいと思います。 食事中なのにSNSに夢中とか、スポーツやレクリエーションをやっているのに楽しむことではなく自分をどう写真におさめようかばかり考えているとか*10。 そういった態度を改めて、現在に着目することでいまあるものに対してもっと注意を向けていくのがマインドフルネスです。

マインドフルネスを身に着けると、「いま、ここ」を楽しめるようになり、過去や将来に対してあれこれ無駄に悩むことがなくなります(無駄ではなく、必要な時に悩むことができるようになります)。 マインドフルネスはトレーニングすることができ、その一般的な方法は瞑想です。 少しマインドフルネス瞑想を続けてみて、ある程度慣れてきたら他の活動もマインドフルにできるようになるかもしれません。 あまり難しくはないですし短時間で(1回5分とか)でできますが、一応ちゃんとしたやり方はあるっぽいです。 自分が使っている瞑想ガイドのアプリのリンクを貼っておきますので、よかったら参考にしてみてください。

マインドフルネス・アプリ

マインドフルネス・アプリ

  • MindApps
  • ヘルスケア/フィットネス
  • 無料
apps.apple.com

余談ですけど、美味しいごはんを食べるために最も効果的なことって、美味しくごはんを食べることだと思うんですよ。 美味しくごはんを食べるためには、お腹を空かせておくことと、食事に集中することがとても大事だと思います。 当たり前のことすぎて誰も言わないですけど、ちゃんとできている人ってそんなに多くないと思います。 高いお金払って提供されたごはんをスマホ見ながら食べるの、もったいないですよ!

思い切って禁欲する

セネカが言った、貧しさの実践をやってみる、というものです。

2通りの「貧しさの実践」があるかなと思ったのでここに載せてみましたが、 考えてみましたレベルなので私自身実践できてもいないしセネカの著作は全く読んでいないです! 本来セネカが言った「貧しさの実践」とはどういう意味なのかを踏まえると、もう少し有意義な議論になるかなと思いますが・・・

貧しさの中に楽しさを見出すタイプ

鈍行列車での旅行だって楽しむかどうかは自分次第

日々の生活を安上がりに済ませたり、あえて厳しい環境に身を置いたりするけれども、それを楽しむし、辛さからはなるべく目を逸らすようにするという実践方法です。

  • キャンプや登山のように、自然の中に身を置いてみる
  • 長距離の移動に新幹線ではなく鈍行列車を使ってみる
  • 安い食材を使って美味しそうに見えるレシピを試してみる

貧しさを使って修行するタイプ

楽しさや社会的欲望を満たすことも少しずつ減らしてみて、それがなくても生きられるように精神を鍛えていく、という実践方法です。

  • 何もせず暇な時間を作ってみる
  • SNSから距離をとってみる

前者のやり方だと物質的欲望を手放すことはできていて、社会的欲望は少しだけ手放せています。 後者のやり方では物質的欲望と社会的欲望のどちらも手放していますが、実践のハードルが高そうですね。 個人的にはどちらのやり方も大切だと思っています。

刺激を求める生き方はダメなのか?

最後に。これまで欲望のもたらす危険性に注目し、それを避けるべしという観点で持論を展開してきました。 刺激を求めて欲望を満たし続ける生き方には、快楽主義の踏み車から降りられなくなる危険がありました。

一方で、踏み車を回し続けるのに抵抗がない人・お金に余裕がある程度あって人間関係も良好、物質的にも社会的にもなんでも手に入れているし楽しく毎日過ごせている、という人もいます。 そういう十分に現状満足できている人に対して、貧しさの実践やらマインドフルに楽しむ技術やらを押し付けるつもりはありません。 *11 主観的に満足できているかどうかが大切なので、既に満足できている人が余分に頑張って自分の認識を変える必要はそんなにないと思うのです。

欲望の中に幸せを求めることは不可能か

刺激を求める生き方の中にも、上手に幸せを見出す方法はありそうです。というか、多くの人がすんなり受け入れられて、既に実践しているのはこちらかもしれません。

適応を避けるため、いろいろな刺激をローテーションして楽しんでいくやり方が考えられます。 仕事で言えばジョブローテーションも、この考え方に該当します。 生活レベルの向上というよりは変化を楽しむというイメージでしょうか。 同様の考え方で、特定のパートナーを持たない乱婚も適応を防げて満足度が高そうですね。(現代では倫理的にやりづらいけど・・・)

他には、自分の欲望を満たすことの形をうまく変えて、他人を喜ばせることにそのエネルギーを使うようにする というやり方もあります*12。 この考え方を仕事で実践した人は起業家になれるでしょうし、対人関係で実践した人は幸せな恋人・夫婦関係を築けると思います。 これは非常に大事な考え方だと思いますので、別の機会に書いてみようと思います。

このように刺激を程よく求めつつ幸せに生きることは可能なように思います。 ただ、なんとなく満たされない、さびしい、悔しい、不満、不安、などで悩んでいる方は刺激を求める生き方から、心の平穏を求める生き方にシフトしてみるのがいいかもしれませんね。辛くなったらそういうやり方もあるよ、と覚えておくといいと思いました。

*1:この表現を用いているのは「サピエンス全史」や「『豊かさ』の誕生」など多数。本書本編でも使用してたはず

*2:もっというと、この機構のおかげで生活レベルの停滞に不満を抱くようになっていて、それが資本主義経済を支えている(私有財産制を支える柱になっている/金融は「社会がどんどん良くなっている」という希望が社会全体に満ちているときでないと活発化しないし、社会がこの踏み車に乗っていてうまく機能していると信じれば信じるほど金融がうまく回って資本主義が加速する)。 こうして見ると、この適応現象は金銭的・物質的に豊かさを求めることが幸せにつながらない という現象にもつながっている可能性がありそう。

*3:快感回路」では、依存症が形成される生物学的な過程で今わかっていることについて解説している。薬物依存症の原因の一つの説明として、薬物のもたらす快感を「もっと」求めてしまうというよりも、同量の薬物がもたらしてくれる快感が次第に減っていくせいで、同じ程度の快感を得るためによりたくさんの薬物を摂取してしまうということが言われている。その過程で学習がより強固に形成されて、依存症から抜け出しづらくなってしまう。 本書「欲望について」で「快楽主義の踏み車」と表現したのはまさにこれで、同レベルの快感を得るために欲望を満たす歩みを無限に続けなければならないこと、そしてその踏み車からは気がついた時には降りれなくなってしまっていることを一言で表している。

*4:社会からの理解が必要ないとか、社会的制裁を受けて然るべきということが言いたいのではなくて、2022年の日本ではまだまだそういう理解が進んでいないという事実があるということ。一方で少しずつ社会的な理解が進んできていることも感じていて、例えば薬物報道ガイドラインが作成され各メディアに対して理解と協力を求める動きも出現し始めている。

*5:前編で書いたように、BISが生み出す情動による欲望は肉体的・精神的な報酬と罰を伴って人の行動を制御してしまう。その上その力は非常に強力で、例えば「呼吸しない」ということを意志で決めたとしても1分後にはほとんど誰でもギブアップしてしまう。ここでは、欲望の追求の負の側面についてお伝えするのが狙いであり、欲望を追求してしまう人 = 意志の弱い人 と短絡してそういった人を責めているのではない。

*6:こうした倫理上の問題に目を配った消費活動のことをエシカル消費という

*7:OSアップデート機能自体は持っている。フランス革命や科学的合理主義の発達などは、人々がこれまで信じてきたものを丸ごと取り替えてしまうことにあたり、OSレベルで人々の認識が変わっている

*8:効果に関して検証されたものとは限らないことに注意。よく知られている心理学的なエクササイズの効果に疑問が投げられることもある。例えば、3つの良いことというエクササイズは、ポジティブ感情を高めてネガティブ感情を下げる効果があり、その効果がしばらく長続きするということが言われていた。このことはポジティブ心理学の祖であるマーティン・セリグマンによって研究・報告されたが、日本の研究者らによってその効果はセリグマンが言ったほどには高くないことが指摘された。

*9:マインドフルであることをマインドフルネスと呼んでいる

*10:写真が大好きで、そちらがメインだと考えている場合は除く

*11:欲望の危険性の3点目「外部に影響を与えてしまう」という部分に関しては気をつけてもらいたいところ。楽しく過ごせているとしても、外部への影響と向き合う責任はあると思う

*12:元ネタはコテンラジオ番外編「『社会には愛しかない』AV監督・二村ヒトシさんに聞く人類を幸せにするためのセックス」超相対性理論「寂しさとは何か」。二村さんは欲望の源泉を「心の穴」と表現している。それは埋めることはできないもののうまく他人から触ってもらうことで(=社会的欲望を上手に満たすことで)満足できる。そして、心の穴の現れ方は人によって様々であるものの、心の穴の形をよーく観察して見つめると、他人に対して貢献することと自分の満足の折り合いの付け方がきっと見つかり、それを実践した人が幸せになれるという考え方。