思索日記

本を読んで思ったことを書いてます。

ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?

「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」は、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンによる2012年の著書です。内容の分野は行動経済学・心理学で、サブタイトルの「あなたの意思はどのように 決まる か?」に表れているように、人間の意思や決定について科学的な視点から書かれています。 上下巻あり結構な分量がある本ですが、内容に興味があればすらすら読めるタイプの本だと思います。個人的にはホームラン級に面白かった良書です!

面白かったところ

以下では本書の面白かったところ、自分が思ったことを書きます。ストーリーがある本ではないのですが、一応ネタバレありです。

心理学の面白い実験と興味深い結果がたくさん紹介されている

心理学にまつわる実験には実験手法そのものや結果が興味深いものが多い、という印象は昔からなんとなく持っていましたが、本書にもそのような実験がたくさん登場します。 並べてみるだけでも結構面白いので、いくつか紹介してみます。

「ゴリラ実験」

複数人がバスケットボールをパスし合う動画を被験者に見せる。動画内に登場する人物は白シャツチームと黒シャツチームに分かれている。
被験者は、「黒チームは無視していいから、白チームのパスの回数を数えるように」と指示される。
かなり集中して一生懸命数え、動画が半分くらいまで差し掛かったところで、ゴリラの着ぐるみを着た女性がコートを横切り、胸を叩き、立ち去る。
動画内には9秒間もゴリラ(の着ぐるみを着た女性)が映っているにもかかわらず、なんと被験者の約半数が何も異常に気がつかなかった!
ちなみに、パスの回数を数えるように指示されなかった別の被験者グループは、ゴリラを見落とした人は一人もいなかった。

かなり衝撃的な実験ですね。これは「注意力」という脳のリソースが有限であること、そしてそのリソースが後述のシステム1とシステム2で共用であることを示しています。

クネッチの「保有効果」の実験

2つのクラスの学生にアンケートに答えてもらい、謝礼品(スイスチョコレートとペン)をアンケートに答えてもらう間、目の前に置いておく。 実験終了時に、「希望者はこちらと交換できます」と告げたところ、交換を希望した学生はどちらのクラスでも10%程度に過ぎなかった。

これは 保有効果 と呼ばれる現象を示した実験です。保有効果は「すでに持っているものを手放したくない」という気持ちによる効果です。この実験では実験終了時にすぐ交換をアナウンスしたわけなので、愛着とは違うものだと思います。

ある品物について所有者が将来的な交換価値を見込んでいるときには、保有効果は発生しない。定型的な商取引や金融取引では、これが一般的である。実験経済学者のジョン・リストは、ベースボールカード交換会での取引を調査した結果、新参のトレーダーは自分の持っているカードを手放したがらないが、何度か取引を重ねるうちにこの傾向は消えていくことを発見した。しかも驚いたことに、取引経験が保有効果に与える影響は、新しい品物についても作用することがわかったのである。

で、このトレーダー達に先ほどのアンケートの実験(今回の謝礼はマグカップまたはチョコレート)を仕掛けたところ、新参のトレーダーは交換を希望したのは18%だったのに対し、熟練トレーダーの場合にはほとんど保有効果が見られず48%が交換を希望したのだそうです。

デフォルトからの乖離

Webページでよく見られるチェックボックスラジオボタンなどの選択式のメニューは、デフォルトとなる選択肢(はじめからチェックがついている方の選択肢)が用意されていることが結構あります。それと関係ありそうな実験がこちら。

参加者はコンピューター上でブラックジャックをプレイする。2枚のカードが配られた後、3枚目のカードを引くかどうかを選択するのだが、その際の聞き方を「本当にもう1枚引きますか?」と「本当にここで勝負したい(もう引かない)ですか?」と変化させて念押ししたところ、 どちらの質問でもイエスと答えて負けた場合にはノーと答えて負けた場合よりも激しく後悔する ことが判明した。

これは、デフォルトの選択肢から外れた答えを選んだ際の後悔がより大きいことを表しています。

心理学の実験の面白さがなんとなく伝わったんじゃないかな?と思います。何かに使えそうな気もするし、 何かに使われていそうな気もします よね。。

システム1とシステム2という考え方がわかりやすい

本書の序盤に登場する、 脳の機能をシステム1とシステム2にばっさり分けてしまい、システム1の特徴とシステム2の特徴を別々に記述する という考え方は、本当にわかりやすいです。この説明の仕方をしたほうがわかりやすいということがわかってやっているのだから、さすが心理学者というか。。

せっかくなのでシステム1とシステム2それぞれの特徴と相互作用についておさらいしてみます。

システム1 システム2
思考のスピード 速い思考 遅い思考
機能 印象・感覚・傾向を生み出す 選択、集中
努力 ほとんど不要 必要
コントロールしている感覚 ない ある
稼働 常時 普段は省エネモード
認知的な癖(バイアス) ある ある
  • システム1の生み出した印象・感覚を、システム2が行う選択や意見形成の材料にする。
  • システム2はシステム1の生み出した 誤った印象や感覚を却下する
    • しかしながら大抵の場合、システム1の生み出した印象・感覚を、システム2は簡単に承認してしまう。普段はこれでもうまくいく。
    • 特に、感情的な要素が絡むとき、システム2はシステム1を擁護しやすい。
  • システム1では間に合わないような困難に遭遇した時、システム2が駆り出される。
  • 私たちが自由意志と考えているのは、システム2のほう。

本書を読み終えてこの辺りを振り返ると、「本書の主役がシステム1である」ことの意味がやっとわかったような気がします。 つまり、私たちの日常的な(いや日常的ではなくかなりの注意を払う時も)選択をするとき、システム1は常に印象や感覚をシステム2に提供し、それを私たちは「自由意志」と感じているわけなので、システム1の傾向を知って対策をすることは自分や他人の自由意志の癖を知ることにつながるのだ、ということです。

著者が「合理的な経済主体」をやたらと嫌っていてウケる

著者のダニエル・カーネマンさんの主要な研究テーマの1つがプロスペクト理論です。人間は不確実な状況下で、 期待値ではなく、どこか人間らしい判断をしがち という理論およびモデルを記述するのがプロスペクト理論です。

例えば、以下の問題を考えてみて下さい。

問題: 次の2つの選択肢のうち、どちらを選びますか?

  1. 無条件で90万円もらえる。
  2. コインを投げて表なら200万円もらえる。裏なら、何ももらえない。

選択肢の期待値はAが90万円、Bが100万円なので、Bを選ぶ人の方が多いかな?  ・・・なんてことはあんまりないと思います。 結構多くの人がAを選びます。 この 一見数学的・経済学的には非合理と言えそうな選択を人間はしてしまう。というより、人間はそもそも普段から合理的な選択なんかしていない ということが、プロスペクト理論で言おうとしていることです。

さて、著者は心理学畑の人なので、一般的な経済学が想定する「経済主体は合理的かつ利己的で、その選好は変わらないものと定義されている。」という文を見て驚愕します。

これでは経済学と心理学は、まったく異なる種を研究しているようなものではないか。実際、行動経済学者のリチャード・セイラーは、経済学者が定義する合理的経済人はエコン類( Econs)と呼ぶべき別人類であって、ヒューマンではないと揶揄している。

この後にも、エコンという言葉が「合理的」な人間という意味でたびたび登場するのですが、その使われ方が揶揄的で妙に面白いです。まあ本気で言ってはいないと思いますけど。

たくさん人間の認知バイアスについて知れて面白い

バイアスという言葉は前から知っていて興味はあったのですが、本書ではたくさん並べて紹介されているので面白いです。 ハロー効果とか埋没費用とかは有名どころですが、他にもたくさん登場します。

個人的なことですが、昔はこういうのを知って悪だくみしてやろうとか、騙されないように合理的に考えようとか考えたものですが、最近は「自分の認知の特性を知って、自分をうまく騙して幸せになろう」みたいな使い方ができないかな?なんて考えたりしています。

「〇〇を話題にするときは」で各章締めてありわかりやすい

これも本を読みやすくするための面白い試みの1つで、各章末に会話(発言)形式で、その章の内容をまとめたり、重要キーワードのおさらいをしてくれます。 これが会話風だからわかりやすくて、しかも 忘れた頃に読み直すときのいい索引になる のです。

例: 保有効果を話題にするときは

「彼女、最初はどっちのオフィスでもいいと言っていたんだ。だけど、いったん決めた翌日に交換してくれと頼んだら断られた。保有効果だな」 「この交渉はどうやら決裂しそうだ。どちらの側も、それなりに見返りがあるにもかかわらず、一歩も譲歩しようとしない。得るものより失うものにこだわっている」

以上、第27章「保有効果」より。実際、本稿を書くためにこの章の内容を思い出すためのインデックスとして、この「〇〇を話題にするときは」は大変役に立っています。今度真似してみようかな。

思考が 生まれる という発想が好き

もともと私がこの本に興味を持ったきっかけは、ユヴァル・ノア・ハラリさんの「21Lessons」に、「自由意志なんて存在しないかもしれない」「あなたは自分で自分のことをコントロールできてすらいない」ということが書いてあったからです。ハラリさんは、自分の思考すらコントロールできていないことを理解するために瞑想をやってみろと言います。私はiPhoneでガイダンス付き瞑想アプリをダウンロードし、実際にトライしてみました。自分の呼吸に注意を向けるよう指示されます。「自分の呼吸に注意を向けるだけでいい」と言われるのですが、自分の呼吸だけに注意は向きません。これはやってみるとわかりますが本当に難しい。「ああ、自分の呼吸だけに注意が向かないや・・・と思う必要もない」と言われるのですが、それもそうはいかなくて、なんとかうまくやろうと思ってしまう。 何か別の思考や感覚が意識の中心に移動してきて、勝手に居座っている ことがよくわかります。

そういうきっかけで、自分の考えがどんなことに影響されているか?どんな傾向があるか?という疑問を持つようになり、本書を手に取りました。 本書のシステム1とシステム2という考え方は、思考が生まれるプロセスは明らかにしてくれませんが、システム1が好むものや傾向については多くを明らかにしてくれます。 また、システム2こそを自分の本体だと考えてしまいがちなところとかは、(瞑想やってみたおかげかはわかりませんが)かなり共感しました。

何かに活用したくなる内容

著者のカーネマンさんは本書冒頭で、本書の想定利用シーンとしてオフィスの井戸端会議を挙げています。カーネマンさんは、井戸端会議で他人や自分の判断や選択について論評するのがもっとうまくなるために、判断や選択にありがちな系統的なエラー(つまりバイアス)について理解し、適切な言葉を知っておくことがまず大切だと言っています。

以下は私の考えですが、本書で取り上げられた心理学や行動経済学の知識は、他人に対して使うことで悪用することが可能です。他人の考えを理解することもそうですし、他人の考えや判断や選択が何に影響を受けるかを理解しておけば、その影響元を操作することで他人を操作することもできてしまいます。実際、広告業界やマスメディアなんかではそのような使い方をされているかもしれません。 まずはそういった悪巧み観点から本書を読んでみるのは結構ゾクゾクして楽しい です。

ですがそれだけではなく、本書の知識は 自分に対して使うことで、自分の判断ミスを防いだり、自分の幸福感を高めたりすることができる のではないかと思っています。ミュラー・リヤー錯視について知っておくことでシステム2を働かせ、下の線の方が長いと誤って判断してしまうのを予防することができるのと同じように、バイアスについて理解しておくことでいくらか自分の(システム2の)判断ミスを減らすことができるのではないでしょうか。

幸福について理解し、幸福感を高めることに役立つか?

本書の最終部(第5部 二つの自己)で、有名な冷水実験について紹介しています。

冷水実験

被験者は、冷たい水(14℃)の張られた水槽に、片手を手首までひたす。ひたす時間は「終わり」と言われるまで。14℃はかなり冷たく苦痛だが我慢できる程度の温度。実験中は水に入れていない側の手でコンピューターのキーボードを操作し、そのとき感じている苦痛度合いを常時評価し入力する。実験終了時には、水から手を出して温かいタオルを渡される。片手ずつ2種類の実験を行なったが、次のように条件が異なる。

短時間の実験
14℃の水に60秒間片手をひたし、手を出して温かいタオルをもらう。

長時間の実験 14℃の水に60秒間片手をひたし、60秒経過時点で水槽に少しだけ温かい水を注ぐ。温度が1℃くらい上昇する。(大半の被験者は苦痛がいくらかやわらぐと報告している)その状態でさらに30秒間、水に手をひたし続ける。その後手を出して温かいタオルをもらう。

結果
被験者には「実験を3回行う」と告知しておき、上記短時間実験・長時間実験を(順番は色々変えて)行ったのち、3回目の実験はどちらをやりたいかと尋ねたところ、 被験者の80%が長時間実験の方がいいと答えた


冷水実験は ピーク・エンドの法則 を示しています。つまり、 記憶に従って過去の出来事を評価するとき、記憶のうちピーク時と終了時の瞬間に大きな重み付けをする ということです。長時間実験は終了時に苦痛がやわらぐようにしてあるので、終了時の記憶が短時間実験の時よりもよく、従って体験全体も長時間実験よりも短時間実験の方が辛かったと判断したわけです。うーん。

これは単に人間が不合理な判断をしてしまいがち、という話ではなさそうです。というのも、過去の体験を振り返って実際に「こちらの体験の方が良かった」と評価しているので、本当に本人にとって苦痛(あるいは幸福)に感じられたのはそちらだと言えるからです。一方で実験中ずっと記録していたキーボードによる苦痛度合いの評価では、積算すると長時間実験の方が悪かったです*1。ここから言えるのは、 経験中に感じる感情やそれに基づく判断と、あとからそれを振り返った記憶に基づく感情や判断は異なる ということです。本書では前者を「経験する自己」、後者を「記憶する自己」と読んで区別しています。 幸福や苦痛を感じる主体が、自分の中に2つある のです。そして、意思決定の場面では 記憶する自己の方が強い発言力を持つ のです(先程の冷水実験のように)。

これはなんというか、、かなり困りましたね。自分が幸福に感じるためにした決定で、一方は得をして一方は損をするーー記憶する自己が得をし、経験する自己は損をするようになっているーーわけです。大半の時間が退屈や不満に満ちているけど一番盛り上がったタイミングと最後が快いデートや旅行は、記憶には良かった経験として残るのでまた繰り返されるのです。一体、どちらを満足させるのがいいのでしょうかね??私は、将来の退屈や不満を引き受けるのも紛れもない「自分」だと思うのですが。。

記憶する自己を最重視するにせよ、経験する自己にも重みづけをするにせよ、このように幸福や苦痛を感じる主体が自分の中に複数あることを知っておくことで、記憶に基づいた誤った判断をすることを防いだり、逆に良い記憶だけが残るように経験をコントロールしたりすることができると思います。

奥付

ファスト&スロー(上)
著者 ダニエル・カーネマン
訳者 村井章子
早川書房
2012年 電子書籍版発行

www.amazon.co.jp

ファスト&スロー(下)
著者 ダニエル・カーネマン
訳者 村井章子
早川書房
2012年 電子書籍版発行

www.amazon.co.jp

*1:実は本書中にはその部分の実験結果は省略されているので、本当にそうだったかはわからない。。前後の別の実験結果や文脈から私が勝手に「作った」判断ですが普通に考えて長時間実験の方が苦痛でしょう